ごめんね。





 ネビュラの行動もまだ激化していない時期のことだった。



  「飲みますか、コーヒー。」
  「ああ、頼む。」

 僕は、コポコポとコーヒーを注ぐ。
 御盆に載せ、バレルさんの机の上に運んだ。

  「バレルさん。」
  「何だ」

 バレルさんは私の呼びかけにコーヒーを一口飲んでから答えた。

  「前から思っていたのですが、さんって少し変わってますよねー。」
  「…は昔は前に馬鹿が付くほど生真面目で仕事熱心な女だったのだがな。」

 二口目を飲みながら、そう言う。
 それからコーヒーの入ったマグカップをデスクに置いた。

  「そうなんですか?」
  「ああ。」
  「じゃ、どうして生真面目なさんがあんな風になられたのですか?」
  「まぁ……いろいろあってな。」

 何か訳がありそうだった。
 だけど、その様子を見ると直接聞く気にはなれなかった。


 … …


 
         「…!何をしているんだ!?やめろ!!」

       はバスルームの中に服を着たまま居た。


               シャワーの音がする。
 

      バスルームに赤い液体が流れている。


           手首の不自然な線がまた一本増えていた。

    右手には、カミソリが握られている。


          「…バレル…っ嫌、こないで!ほっといてよ!!」

             抵抗するからカミソリを奪う。

        「やめろ!こんなことやって……!」

           「もう嫌なの!何で私は生きてるの!?もう…終わりたい…」


     シャワーから出る水で、二人とも水浸しになっていた。

                    ─衣服が肌にくっついて気持ちが悪い。

                「そんなこと言うな…」



                      「……」



 ……… ……… ………




      「……」
 

  「もっと、気を抜いていけ。お前はもっとだらだらした方がいい。」

             「…でも」


      「お前が気を抜く分、俺がフォローしてやるから心配するな。」

  


 …

 ………

 ……




 多分、いろいろあったんだと思う。


 自動ドアが開く。
 …噂をすれば、というのは正にこれだ。


  「バレルー。資料手に入ったよー。」


 語尾を延ばす。
 これが彼女の癖だ。
 随分のんびりしていて、気の抜けたように聞こえる。

  「あ、こんにちは。」

 笑顔で言われる。
 こっちも思わず笑顔になってしまう。

  「こんにちは、さん。」

 バレルさんの机の上に、その資料とやらが置かれる。
 覗いてみると、それは仕事についての資料ではなくで某有名ランドのパンフレットだった。

  「ねー。行こうよー。」

 まるで子供みたいな言い方だった。

  「交通費が案外かかるな。時間もかかる。」

 では、バレルさんは差し詰め父親というところか。


 ………この喩えはおかしい。
 交際関係にあるのに、それでは何だか恋人同士というより親子だ。

  「えー。そんなことないよ。一緒に行こうよ、ネズミーランド。」
  「…俺はこういう所は苦手なんだが。」

 本人にはその気は無かったのだと思うが、バレルは冷たく言い放つような声色だった。


 ああ、そんな言い方をすると…


  「…そう、だよね。バレルは騒がしいところ、あんまり好きじゃなかったもんね。
 …嫌なこと気がつかなくてごめん。
 あ、あともしかして二人は何か話してたのかな…?割り込んでごめん…」

 は相手の気分を害したりしたと思うと、急に謝り倒すという変わったクセを持っている。
 恐らく、精神的に病んでいたことで出来たものだろう。

 謝ることで、自分を許してほしい。
 嫌わないでほしい。

 …精神的に病んだことのある者には良く出る症状だ。

  「雑談していただけですから、そんな気にすることはありませんよ。」
  「そうだ。」

 僕はにそう優しく言った。

  「良かった。じゃあ、……ほんとにごめんね。」

 また。
 彼女はまた謝った。そしてそれから部屋を退出した。

  「…謝りすぎです。」
  「ああ。…悪い癖だ。本人は多分気がついてないんだろう。…今度注意しておこう。」

 バレルはそう言ってから冷めてぬるくなったコーヒーを飲んだ。

  「…淹れ直しましょうか?」
  「いや、構わない。カーネル、近い日で何も予定の入っていないのは何時だ?」
  『…待て………来月の第2週目月曜日だ。』

 そうか、と短い返事を言い、バレルさんは電話を掛けた。

  「…行くんですか、ネズミーランド。」
  「たまの息抜きは必要だ。それにあんなに残念そうにされたら連れて行くしかないだろう?」

 本当に親子みたいだ。
 確かにはすごく残念そうな顔をしていたが、
 それだけで自分の気の進まない場所に連れて行くというのだから、
 バレルさんは意外と親馬鹿の部類なのかもしれない。

 ……恋人とは、違うかもしれないな。これ。

  「じゃ、マウスと並んで写真とってきてくださいよ。きっと面白い写真が出来ますよ。」
  「断る。」

 言葉を返そうと思ったが、どうやら電話が繋がった様だったので言うのをやめた。

  「。……行くぞ、遊園地。………来月の第2月曜日だ、空けておけ。
 …ああ。平日だが…いいか?………それだけだ、時間は後で決めよう。…じゃあな。」

 ピ、と電話を切る。

  「バレルさん、僕も何処かに連れて行ってくださいよ。」

 と僕が冗談でそういうと、

  「お前は科学省横の港にでも行け。貨物と一緒に何処かに運ばれろ。」

 と冗談で返された。

  「非道いですよ、さんと全然対応違います。」
  「当たり前だ。あいつと何年の付き合いだと思うんだ。」

 いや、何年の付き合いなのか僕には分からないけれど。
 …でも多分長い付き合いなんだろうな。

  「…まあ、男二人で何処かへ行っても悲しいだけですからね。」
  「…確かにな。」

 と、完全に冷め切ったコーヒーをバレルはまた口に含んでいた。
 眉間に皺を寄せ、不快そうな目をしながらまずいな、と言った。

 ……だから淹れ直すって言ったのに。

  「淹れ直しますよ?」
  「いや、もういらない。」
  「…そうですか。」

 本人がいいと言っていたので、僕はそのままにしておくことにした。





  「僕も何処かに行こうかな…」

 そう呟くと、一人旅は良いものだが、その年頃で一人で出かけるのはつらくないか、
 と言われてしまった僕なのだった。